ゲームの公開制作というスタイルがもたらす可能性について述べています。
2000年12月21日更新
今回は、僕の制作スタイルが持つ意味、そして、このサイトが存在する意味を、 みなさんに分かっていただきたいと思ってます。 コラム連載序盤最大の山場ともいえますので、そこんとこ(どこんとこ?)ヨロシク。
前回のコラムでも述べたとおり、シェアウェアを主体とした個人でのゲーム制作を
ビジネスとして成立させるのが、僕の目標の一つになってます。
今現在、このような制作スタイルをとっているゲームクリエーターは、
あまりいないみたいですが、僕は、もっと一般化して欲しいと思ってます。
それは、個人のクリエーターがたくさん出てくることによって、
ゲーム文化がさらに成熟すると考えるからです。
例えば、漫画の場合、最初は雑誌で連載され、そこで好評だったら、
放送局やプロダクションが絡んでテレビ放映され、
さらにヒットしたら、映画化といった流れがあります。
その流れの中で、漫画家としての活動にこだわる人もいれば、
アニメーションの世界で活躍する人もいる。
要するに、クリエーターが自分にあった活動の場を選べるんです。
ところが、パソコンゲーム市場が衰退し、コンシューマー(プレステなどのゲーム機市場)一辺倒になって以来、
ゲーム業界にはそんな構造はありませんでした。
たとえ小さな会社でも、スクウェアや任天堂などと同じ土俵で、同じターゲット層を狙って
戦わなければならないんです。
いわば、新人漫画家でも、劇場公開の長編アニメで一発勝負!の世界なんです。
そういった意味からいえば、ネットで流通させる個人制作のゲームは、
少年誌で連載される漫画、もしくは、新人発掘の文学賞のような役割を果たせるんじゃないでしょうか。
何よりも作家の個性が尊重される発表の場であり、なおかつ、
そこで読み手(ゲームの場合は遊び手)の評価を勝ち取れば、ビジネス的な成功も約束される。
もちろん、誰からも評価をされなかった作品は、そこで消えていく運命にある。
コンシューマー市場には、そういう選別を勝ち抜いたものが、
さらなるエンターテイメント性を与えられ、よりグレードアップして投入されるのです。
もちろん、すべての作品がこの流れにそう必要はありませんが、
やはり、本当に良い作品に、適正かつ充分な投資がなされるためには、必要なことではないでしょうか。
ゲームが巨額の資金と、多数のスタッフ、長期の制作期間を要するものとなった以上、当然の選択だと思います。
マンネリ化や、続編モノの氾濫など、この業界が抱える問題の解決にもなりますし、
「クソゲーをつかまされる」ことも、きっと減るでしょう。
自由で活発な発表の場の成立が、ゲーム業界全体の質を押し上げることになるのです。
さらに、遊び手側の選択肢が増えるということも、意味のあることだと思います。 大作と呼ばれるソフトだけじゃなく、意欲的で斬新な切り口のゲームもプレイしたい、 とはいえ、いきなりソフトを買うのはちょっと不安。そんな人は、潜在的に結構いるんじゃないでしょうか。 もし、シェアウェアとして、オンライン上に新進クリエーターたちが作品を発表するようになれば、 ユーザーはそれらをダウンロードしてみて、本当に面白かったものにお金を払えばいいんです。 実は、僕も、最近のコンシューマーゲームには、もう、おなか一杯って感じを抱いてます。 いくらフランス料理のフルコースでも毎日は食べたくないでしょう? もっと気軽に、それでいて、ハッとさせられるような新鮮味のあるゲームと出会いたいんです。 だから僕は、毎日でも食べられる日替わり定食で勝負です。 それも、安くておいしい、こだわりの定食を目指します。
僕が、自分のゲーム制作を日替わり定食に例えたのには、もっと理由があります。 というのも、ゲームの公開制作を行おうと思ってるんです。 通常、ソフトウェアは、アルファー版やベーター版など、一通り機能がそろってから公開されるものですが、 僕は、一部の機能が未実装のバージョンでも、積極的に公開していこうと思ってます。 そして、ユーザーの反応を見つつ、次なる展開を決めていこうと考えてます。 新しい機能が追加されたら、その反響を得るためすぐさまアップロード。 で、評判悪かったりしたら、すぐさまその機能を削除するかもしれません。 まさに、日替わりでバージョンが変化する可能性もあるんです。 そうやって、僕の想像を超えてゲームの完成度を高める ことができるのではないかと考えてます。
もちろん、未完成で公開することで、せっかくの企画を、誰かに真似されるかもしれません。
でも、構いません。人が真似したくなるほどの企画なんだと分かって、かえって大喜びです。
僕は、さらに面白い機能を加え続けること、つまりは次の一手で勝負すればいいんですから。
むしろ、その変化を売りにしたい、いや文字通り「売る」つもりでいます。
というのは、ユーザーに対して、ソフトそのものを提供するだけじゃなくて、
ゲームの制作過程を目の当たりにする環境もサービスとして提供し、
そこも含めて代金を頂こうというのです。
ですから、たとえ未完成でも、シェアウェア登録なしでの使用には、機能制限を設ける予定です。
もちろん、ゲームの雰囲気が分かる範囲の機能はフリーに遊べるようにはします。
ただ、新たに追加した点、強化した機能などを、このコラムで解説しながら、作っていくことになりますから、
そのコラムの連載と連動してゲームを楽しみ、最新のネタに対して意見や感想を述べることは、
シェアウェア登録してくださった方々だけが味わえる限定サービスとなります。
資金の早期回収によって、安定した制作環境を維持するとともに、
完成前に購入いただいた方には、このサイトを思う存分楽しむ特典を与えようというわけです。
ですから、このサイトとコラムの連載が果たす役割は、非常に重要になってくるでしょう。 僕の制作を公開する場所であり、 みなさんの声を集める窓口なんですから。 作る側と遊ぶ側が、ゲームが成長する時間を共有する。そんな感じを実現したいです。 そう、コミュニケーションゲームというネーミングには、ユーザーと制作者のコミュニケーション という意味も内包されているんです。 とりわけ「魔法使いの街ゲーム」となると、街に建物を追加したり、 仕事を増やしたり、市場で売られる商品を追加したりと、公開しつつ制作という手法に ぴったり合ってると言えるでしょう。
ただ、この制作スタイルを採用するのに、不安がないといえばウソになります。 いったい、どれほどのユーザーの賛同を得られるのでしょうか? 結局、作品が完成するまで、ほとんど購入してもらえないかもしれません。 それは、こうやってコラムを書きながら制作することが無意味だということを示します。 なんだか、人のやってないことに挑戦してばかりで、先が見えないのも事実です。 でも、明治維新の志士、坂本竜馬は「人は事を成すために生まれてきたのだ。 ただし、事を成すにあたっては、人の真似をしちゃいかん」と言ってます。 僕も、人のやってない手法で、ゲーム制作を成し遂げたいです。 だって、企業と同じことをやってたのでは、勝ち目ないですから。 やはり、僕は、個人制作の身軽さ、オンライン流通の手軽さを活用するしかありません。 完成品のゲームを売るだけじゃなくて、それを完成させる過程も商品化する。 ゲームの公開制作は、新たなビジネスと、 かつてないエンターテイメント性を秘めた制作スタイルだと固く信じています。
とはいえ、最初は、プロトタイプ版として、機能制限なしのフリーウェアで制作を進めます。 シェアウェアにするのは、基本的な機能が備わってからにしましょう。 なんといっても、相当にしょぼい段階から遊んでもらおうと思ってますから。 プロトタイプは、たぶん、ちっとも面白くないと思います。 でも、公開制作を目指す以上、早く作ったものに対する反響が欲しいんですよね。 「ぜんぜん遊べないぞ」とかでも嬉しいです。 だって、そこからがスタートなんですから。 細部は作りながら考えようと思ってますんで、最終的にどんなものになるかは、 僕も楽しみです。……なんか、他人事みたいですね。 みにくいアヒルの子みたいに、最初はいじめられながらも、 最後は美しく羽ばたいて行ってほしいもんです。
一旦完成すれば、そこからみなさんのリクエストに応じて、 アレンジバージョンを作ることも可能でしょう。 昔のグリコのオマケみたいに、男の子向け、女の子向けとか、 メッセージにダジャレをちりばめた、おやじギャグバージョンとか(え? 欲しくない?)、 期間限定クリスマスバージョンなんてのも作れるかもしれない。 ポケモンみたいに、赤とか青とか金とか、色でもつけるかな? 最新バージョンが気に入らなかったら、旧バージョンをダウンロード。 そんなのもアリかなって思ってます。 みなさんも、想像力を働かせながら、このゲームの成長を見守ってください。
はい、長い前置きもここまでです。 次回はいよいよ、「魔法使いの街ゲーム」(いい加減に、タイトル考えないとな)の プロトタイプの発表です。 さ〜て、しばらくは、プログラミングに打ち込むとするか!